盲導犬情報 第16号(1998年1月)



内容




3年後の被災地から

1995年1月17日早朝に起きた兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)は、一瞬にして多くの人の命と暮らしを奪いました。その被害の規模は誰もが想像もできなかったほど大きなものでした。
  多くのボランティアが被災地に駆けつけ、「ボランティア元年」という言葉が生まれました。また、行政や多くの人が、高齢者や心身に障害を持つ人たちを災害弱者と位置づけて考えるようになったのもこの時からと思います。
  視覚的な情報が得られないために避難場所がわからない、避難所内の移動がスムーズにできない、救援物資の配給の有無など生活に関する多くの情報が把握できない等々、視覚に障害を持つ被災者にとって被災地での生活は様々な面で多くの困難がありました。また盲導犬を使用している被災者からは、街の様子が一変したことに加え、道路のあちこちにガラスの破片や瓦礫の山、亀裂などがあり盲導犬を使って歩くことができない、といった意見が聞かれました。避難所生活を余儀なくされた人の場合は、避難所で盲導犬を同伴することへの周囲の人たちの理解が得られない、犬の食餌・排泄・手入れなどの世話ができないといった事情もあり、被害の大きい地域に住んでいる人のほとんどが盲導犬を訓練施設に預けざると得ませんでした。
  あれから丸3年。道路の開通や新しいビルの建設など復興のニュースも一段落、今年中に仮設住宅が閉鎖されると聞けば、被災地の状況はかなり元に戻りつつあるという印象を持つ人もいるかもしれません。神戸市が9月から10月にかけて実施した市民意識調査でも、被災した人の半数近くが町や住宅が「復興した」と考えているという結果が出たそうです。しかし、まだ約2万5千世帯・4万人余りの人たちが仮設住宅で暮らしています。兵庫県の推計によれば震災で被災地外へ流出した人口の約4割の6万人強が依然戻っていないそうです。公的資金援助や心のケアなど、被災者への支援の拡充が望まれるところです。
  今回震災から3年ということで、震災4ヶ月後に盲導犬情報室が行ったアンケート調査に協力してくださった被災者の中からその後の状況などを知らせていただきました。前述の神戸市が実施した調査結果によると、回答した被災者の半数近くが「復興した」と考えていると言っても、被害の少なかった北区、西区、垂水区の居住者の6割以上が復興したとみているのに対し、被害がひどかった長田区、兵庫区では5割の人が元に戻っていないと回答するなど、地域間格差がみられるそうです。その点を考えると、もっと多くの方々の声を載せるべきだったのかもしれません。しかし今回はとりあえず、直接的被害は少なかったものの神戸市内に住み復興していく街の様子を身近に感じておられる方と、自宅が全壊という大きな被害に遭われいまだに盲導犬は訓練施設に預けて仮設住宅で生活されておられるという二人の方に原稿をお願いしました。

阪神淡路大震災から三年

神戸市  隅野 幸治(スミノ コウジ)

平成10年、新しい年が明けました。我が家の恒例行事として元旦の午前10時頃から近くのお地蔵さんに初詣、次いで須磨浦公園にて初散歩。二日目はポートアイランドの南公園にと、人混みを避けて人間と盲導犬が安心して行動できる場所を選んでの年中行事となっています。
  三年前も同じ年中行事をこなし静かに平成7年が明けました。が、17日にあのような大事件が起こるとは。
  停電、断水、電話は不通、家具は倒れ、食器類はこっぱ微塵、道路は寸断、食料品の販売制限等々、まさに暗黒の闇の世界に叩き出された感じでした。
  家族三人と盲導犬一頭に怪我が無かった事だけが不幸中の幸いでした。
  震源地に一番近い所に住んでいながら断層から僅か外れた為にこの程度ですんだのでしょう。神戸の東の方では壊滅的な被害が出ました。
  私達を勇気付けたのは150件を越える全国からの励ましの電話と水・食料品の宅急便でした。かかりにくい電話を何回も何回もかけ「やっと通じた。生きていたの」と涙ぐんでくれた人々の声、そして何時着くか保証出来ないといわれながら贈ってくれた品々・・・。
  私の勤務先の国立神戸視力障害センターでも宿舎を開放したり、ボランティアの活動拠点となったり、後日にはグランドに仮設住宅38戸が建ちました。
  あれからもう三年。盲導犬もベス(当時13才、現在栃木盲導犬センターで元気に生きています。16才。地震の時はマガジンラックに後ろ足を押さえつけられて小さい声でキューンと訴えていました。)からフェアリー(4才、女の子)に替わりました。当時道路は廃材を運ぶトラックの騒音又復興が進むにつれ道路補修や家屋建築の為の車が道路のいたる所に駐車し、歩きにくい時期がありましたが今は静かになりました。第二神明道路の開通は平成8年10月でしたが、一般道路の改修工事の為か常に10キロを超える渋滞で、利用する気にはなりませんでした。三年ぶりのポートアイランド南公園は仮設住宅も見えず、都会の雑踏を全く忘れさせてくれる静かな公園に戻っていました。我がセンターの仮設住宅も現在は14戸が入居、まもなく7戸となり、11月には全部の取り壊しが始まるのだそうです。皆さん希望の場所に移る事が出来たのでしょうか?
  被災者を慰める為にと始まったルミナリエも昨年12月の第三回では28万個の電灯を使用しての光の祭典でしたが、前年比90万人増との事、観光化してきました。
  毎年11月末に行われる長田区社会福祉協議会主催の「心咲かそうコンサート」も第三回を迎えました。第一回は高石ともやさん、第二回はボロ、第三回は紙風船と菰池裕子さんでしたが、心暖まる素晴らしいコンサートでした。時間の経過と共に薄らいでいくであろう大震災の教訓をこんな形ででも記憶に留める事が出来れば貴重なコンサートとなっていく事でしょう。
  沢山頂いた励ましの電話の方々も忘れがちとなってきました。せめて年賀状だけでもと書き終えたところです。
  時間の経過とともに薄らいでいくであろう大震災の記憶をいかにして持続させるかが今後の私の課題です。

震災後3年に寄せて

      芦屋市  富井 誠       
はじめに

私が夢と希望に胸ふくらませて我がパートナー、ポニーとの生活を始めたのは1992年2月からであった。
  「私もいつ視力が落ちるかわからないので歩くことの自由くらいは確保しておいて」と言う家内の強い勧めもあって、その年の1月共同訓練にのぞんだのであった。
  共同訓練は私にとって初めて経験することだらけで戸惑いも多く自信を無くしかけたこと数知れずだった。その度に指導員や職員の方々に励まされ、ようやくポニーと一緒に家に帰り着くことが出来た。
  犬との生活の楽しさは今更私がくどくどと書き記すまでもなく読者諸氏は充分おわかりのことと思うので省かせていただく。一つ付け加えさせていただくなら、その1年余り後に家内もポニーとの共同訓練を受けここに時間差タンデムとでも言うべき盲導犬使用者が一組誕生した次第である。

震災に見舞われて

そんな楽しい有意義な生活もほんの数十秒の自然のいたずらによって一変した。1995年1月17日午前5時46分。この時刻は我々被災当事者には忘れられないものだ。阪神淡路大震災である。
  激震に夢を破られた我々家族がまず考えたことは家が大丈夫か?今後の生活は?犬は無事か?などなど・・・。周りの様子から判断して犬との生活は無理と決断し、当時高3の息子に公衆電話に走ってもらい訓練センターへポニーの保護をお願いした。道路交通網、通信施設が全てズタズタの状態の中センターからの迎えが到着したのは我々が避難所である中学校の体育館について間もなく。正直言って正確な時間は今でも思い出せないのである。でもあの時の感謝とうれしさは筆舌には尽くしがたい。ほっとしたのもつかの間、判定士による検査の結果家は使用不能の全壊と聞かされ失望のどん底に突き落とされた。その後無事だった家財道具を田舎に預け身の回りを整理して避難所生活も軌道に乗ったのは震災後1ヶ月もたってからだった。関係団体の発行している情報誌によって盲導犬とユーザーの被災状況は詳しく記されていたのでここでは割愛するがとにかく惨憺たるものだった。ライフラインの復旧が遅れ人もまともな生活ができない有り様。ましてや犬の排泄物の処理、シャンプー、食餌、訓練所に預けなかったユーザーも大変な思いをされたことと想像される。ましてや避難所生活を余儀なくされたユーザー諸氏には全く不可能だった。道路の様子もまるで変わってしまったので単独歩行はまず無理。私もこわごわと一人で歩き出したのは3ヶ月もたってからのことだった。
  その年の4月ようやく仮設住宅への入居が実現した。しかしポニーと一緒に生活するスペースはない。役所に申し出たところ若干広い仮設の予備があるとのこと。さっそく引っ越しして食卓の下に場所を定め4月に一緒に生活を始め、単独歩行でも道路の陥没による穴や地割れによる細い溝、盛り上がった部分など気にせず歩けるようになった。しかし翌年(平成9年6月)仮設住宅の統廃合のあおりを受けて再び引っ越しを余儀なくされた。役所に盲導犬との生活を申し入れたが
「盲導犬は外では飼えないのか」
「あなたが生活する中で犬を飼ってくれないと困る」
「あなたばかり特別扱いはできない」
など理解のないことを言われ結局再び訓練センターに預かってもらうことにした。

終わりに

本日ふとしたきっかけから原稿を書いてみる気になり書き始めると日頃の鬱憤を一挙にぶちまけた形になってしまい、読者の皆さまには誠に不愉快な思いをさせてしまいお詫びの申し上げようがない。しかし盲導犬ユーザーであるが故に多くの友を得、その方々から励ましの言葉を頂き、今もって気にかけていてくださることに深い感謝の意を表したい。そしてやがて今度のことが楽しい思い出として笑って話せるようもう一度努力したいと思う。
  行政側の盲導犬に対する理解の無さに最初の頃は憤りを感じたが、それも私自身の啓蒙活動の不足と反省し皆様方のご協力も頂きながらなお一層の努力を重ね、当芦屋市で次に盲導犬を持つ方の為にも役立ちたいと考える次第である。

アンケート調査結果報告(3)

(卒業論文『盲導犬を伴う視覚障害者の移動』より)

京都市  小笠原滋
3.新たな負担の性質と障壁の問題性

調査1、2両結果から得られた負担と障壁に関する知見は、1)盲導犬使用は、ある程度の負担と努力、責任の自覚を必要とする、2)盲導犬は、社会の理解を必要とする歩行補助具である、の2点です。
  まず、1)より、盲導犬を使用することは、歩行や生活の質の向上が単に他者から与えられるものではないということに気がつきます。「犬の世話をしたり犬をコントロールすることが必要となるために、目の見えない人自身の精神的な自立や主体性が求められる。これらのことは、特に中途失明者のリハビリテーションにとって意義のあることではないだろうか」(注)といわれているように、盲導犬使用は、移動と生活の質の向上を使用者自らが追求するという姿勢を自然に要求すると考えられます。すなわち、新たな負担は、自立の契機を得るという意味で肯定的に捉えることができ、社会的問題性は低いと私は考えます。
  しかし、盲導犬使用の有効性を生かせない現状があることも確かです。「不快な体験」にもあったように、盲導犬および使用者への接し方の問題は、スムーズな移動を妨げたり、盲導犬の実働能力や公共性を不安定にさせるおそれがあります。また、タクシー乗車拒否は使用者のより良い移動を阻むものであり、飲食店などの公共施設による拒否は、移動目的地の選択の幅を狭めます。このような拒否は、盲導犬使用者の移動手段と行動範囲を限定してしまいます。
  接し方の問題や拒否の問題を解決するためには、一般社会の理解が必要だと考えます。そこで知見2)のようなこと(盲導犬は、社会の理解を必要とする歩行補助具である)が言えるのです。

4.情報伝達の重要性

盲導犬使用者の快適な移動と行動範囲拡大のためには、一般社会に盲導犬およびその使用に関する確かな情報を提供することが先決だと考えます。例えば、調査2の調査結果から一つの示唆が得られます。
  調査2では、「手引き」の知識・関心の有無と受け入れの関係、そして、盲導犬の知識の有無と受け入れの関係について結果を整理すると、それぞれ図8、9のようになります。

図8 「手引き」の知識および関心の有無と受け入れの関係(棒グラフ)

使用者、盲導犬両方とも受け入れる
「手引き」の知識とそれへの関心が有る 25
「手引き」の知識とそれへの関心が無い 6
使用者は受け入れるが盲導犬は受け入れない
「手引き」の知識とそれへの関心が有る 4
「手引き」の知識とそれへの関心が無い 3
使用者、盲導犬、両方とも受け入れない
「手引き」の知識とそれへの関心が有る 1
「手引き」の知識とそれへの関心が無い 1
備考・・・手引きの方法を知っている 18人
手引きの方法は知らないが関心がある 12人
手引きの方法を知らないし関心も無い 10人

図9 盲導犬の知識と受け入れの関係(棒グラフ)

使用者、盲導犬、両方とも受け入れる
公共の場での盲導犬の様子を知っている 21
公共の場での盲導犬の様子を知らない 10
使用者は受け入れるが盲導犬は受け入れない
公共の場での盲導犬の様子を知っている 1
公共の場での盲導犬の様子を知らない 6
使用者、盲導犬、両方とも受け入れない
公共の場での盲導犬の様子を知っている 1
公共の場での盲導犬の様子を知らない 1

この二つの結果から、「手引き」に関する知識をもっている、あるいは、それへの関心がある人、そして公共の場において盲導犬がどのような態度をとるか知っている人が使用者と盲導犬の両方を受け入れる傾向が高いことが分かります。また、図9の特徴は、盲導犬をよく知らない人の中に盲導犬同伴を断っている人が少なくないということです。つまり、視覚障害者援助法や盲導犬に関する知識・関心をもっているかどうかが受け入れに影響すると考えられます。
  このように、盲導犬を伴う快適な移動を維持し、行動範囲を拡大するためには、盲導犬とその使用に関する情報を積極的に提供していくことが課題となります。私は、情報発信者として最も信頼できるのは、使用者ならびに盲導犬を育成する盲導犬協会であると考えます。まずなによりも、盲導犬使用者自身が盲導犬とともに外出することが情報伝達に有効であります。調査2の「盲導犬をどのように知ったか」という質問では、盲導犬を直接見て知った店主が20人おり、その内の18人が今後「使用者、盲導犬、両方受け入れる」と回答しました。また、その内の8人が実際に受け入れて何の問題もなかったことを証言しています。このような結果から、盲導犬使用者の行動自体が受け入れを拡大する大きな要因になっていると考えられます。
  一方、接し方の問題を解決するためにも、使用者のアピールが必要になります。ある使用者は、盲導犬のハーネスに「仕事中」と書いたカードをつけています。私は、その方と観光地を散策する機会がありましたが、盲導犬に近づいて触りたそうにしていた小学生は、そのカードを見て「仕事中だって」と言って笑いながら見守るにとどまりました。このような注意を喚起する方法は、簡単ですが盲導犬の役割(盲導犬使用に関する情報)を積極的に伝達しています。また、さりげない工夫によって、お互いに不快な思いをしないで理解が進むのは望ましいと考えます。
  さらに、拒否を無くし、接し方を改善するためには、盲導犬使用者(あるいは盲導犬育成協会)と多数の人々が交流して情報を交換することも大切でしょう。なぜなら、盲導犬とその使用は特異な性質をもっており、誤解されることも多く、それらを理解するためには「説明」が必要だからです。特に学校教育や社内教育の場での交流が重要であると考えます。

5.まとめ

調査1、2の結果から次のようなことが分かりました。

  1. 盲導犬の判断を利用することで歩行の質が高まり、使用者の行動範囲が広がっている。
  2. 盲導犬使用は、負担と努力、責任の自覚を必要とする。それは、移動の質の向上を使用者が自ら獲得するという意義をもつ。
  3. 盲導犬が犬であるために、かえって快適な移動や行動範囲の拡大が阻まれることがある(接し方の問題と拒否の問題)。
  4. 盲導犬受容と盲導犬に関する情報の提供は、相補的関係にある。

おわりに

調査を行いながら考えたことは、「盲導犬は人によって色々な捉え方をされており、それが問題を複雑化させているのではないか」ということです。「盲導犬をどのように捉えるか」また「どこまで盲導犬に要求するか」など、使用する者としない者との共通理解がなければ、今後、特に使用者の快適な移動と行動範囲の拡大は定着しないと思います。まず、盲導犬とその使用に関する情報を整理する必要があります。
  共通理解は、お互いに(あえて使用者側と使用しない側に分けて)啓発し合う以外にないと考えられますが、その場をどのようにもったらよいか今の私には想像することができません。しかし、少なくとも私(使用しない側の者として)は、漠然とした不安を越えて、盲導犬使用に関する知識、盲導犬を許容する心、そして盲導犬に対する冷静な目をもっていたいと考えます。それは、盲導犬使用者に出会ったとき、状況に応じてどう接したらよいか知ること、盲導犬がその使用者にとってどういう存在であるのかを理解すること、動物である盲導犬にたえず正確さと耐久性を求めないこと、盲導犬の働きに期待しつつも過信しないこと、などです。
  最後になりましたが、調査にご協力して下さった盲導犬使用者の皆さん、食料品取扱店店主の皆さん、関西盲導犬協会スタッフの皆さんをはじめ多くの資料を提供して下さった関係機関の皆さんに厚くお礼申し上げます。また、十分表現できなかったことをお詫びいたします。
(注)清水和行「盲導犬使用者の現状」『視覚障害』NO.136、身体障害者団体定期刊行物協会、1995年、p21

私のトラブル対策(2)−犬の病気−

ガンの宣告を受けて

三重県  大久保はるみ

昨年の1月のこと、ブラッシングをしている時に太股の後ろの皮下に、丸くコロコロしたものを見つけました。私は脂肪腫のようなものかと思い様子をみることにしました。5月に入ってからそのコロコロしたものが大きくなったり小さくなったり、固くなったり柔らかくなったりと変化し始めたのです。獣医に診てもらったところ、とにかく手術してみましょうということで、7月12日に手術と決まりました。が前日になって、反対の足の肛門に近い場所に皮膚にくっついて膨らみ先の方がかさぶたになっている、丁度ニキビのような腫れ物を発見したのです。
  手術の結果、コロコロした腫れ物は良性で、手術前日に見つかったニキビのようなものはガンと言われたのです。それも再発する可能性が高いとのことでした。
  治療法として、一つは1ヶ月入院させて20回の放射線照射をする。ただしその都度麻酔をかける方法。もう一つは再手術をしてさらに6センチえぐって取れば再発は免れるかもしれません、とのことでした。こういう治療を受けるともう盲導犬として使用することはできないそうです。
  両親をガンで亡くした経験から、抗ガン剤やコバルト照射を受けるたび良くなるどころかどんどん弱っていったことを思い出し、治療はせずにガンの自然治癒、自然退縮を願いつつ見守っていくことにしました。
  あれから半年過ぎましたが再発もせずとても元気にしています。手術の前と変わらず生活しています。参考になればと思って書きました。

使用者からのお便り

うれしいホテルの対応

茨城県  畔蒜(アビル) 明

9月18日、私は町の身障協の研修旅行で千葉県の最南端にある千倉町(チクラマチ)のホテルに宿泊した。
  以前私はこの情報誌で、「野島崎の初日の出」という原稿を寄せたことがあるが、千倉町はその野島崎灯台のある白浜町の隣町である。
  温暖な気候に恵まれ、冬は花摘み、夏は海水浴と四季を通して楽しめる。なんといってもうれしいことは、お刺身のおいしいことだ。
  私は宿泊するホテルに前もって盲導犬を同伴したい旨を伝えた。
「どうぞ、どうぞ。盲導犬は訓練された犬ですから」
と言ううれしいお返事であった。
  先月納車されたばかりの大型福祉バスは快適な乗り心地であった。
  途中、福祉施設を見学し、ホテルに着いたのは3時少し過ぎであった。
  ローサにブラシをかけ、洋服を着せ、玄関で足を拭いている私を見るなり
「足なんか拭かなくてもいいから、早く上がってください」
と駆け出してきた人がいた。経営者なのか従業員なのか、そして誰もが聞くようにあれこれ聞いてくるのであった。
  宴会の時、ハーネスをつけたままローサに廊下の壁際で待たせた。料理を運んでくる従業員の全てが初めて見る盲導犬に驚いたようであった。
  翌朝、排便のため外に出た私の右手にもっているツー袋を見た夕べの人が
「左手に松林があるから、そこでされればいい。取らなくともいい、取らなくともいい」
と大声で怒鳴っていた。
  しかし、私はそんな言葉に甘えてはならないと思って、次にこのホテルを利用するであろう盲導犬のためにも、ここできちんとした対応をしなければならないのだ。
「今度、何頭かの盲導犬と一緒にお世話になりたいと思います。その際はまたよろしくお願いします」
帰り際、私はそう言った。
「どうぞ、どうぞ。こんなお利口な犬なら何頭来ても構いません。それに皆さんに使っていただくと、うちも宣伝になります」
  当初海岸線を帰る予定であったが、台風の接近ということでコースを変更した。そして富津市(フッツシ)にあるマザー牧場に立ち寄った。
  レストランに入ろうとする私に
「犬は入れられません」
と若い女性が制止した。これはペットではなく盲導犬だといくら言っても駄目の連続であった。私は
「じゃあ上司に会わせて下さい」
と言った。確かここの経営は東京タワーと同じグループだと聞いていたのだ。あの東京タワーと同じ経営者ならよもや盲導犬の入店は断りはしないだろうと思ったのだ。
「今、電話で確認したら盲導犬はペットではないので構わないとのことです」
みんなもほっとしたようであった。
「さすがローサ」
誰かがそう言った。それにしても断られて引き下がらずにがんばって良かったと思った。もうこの施設では拒否されることはないであろう。ユーザー一人一人が積み重ねる努力がやがてどこでも自由に入れることになるであろう。

盲導犬情報ボックス

国際盲導犬学校連盟1997年年報より

昨年国際盲導犬学校連盟から発行された年報によると、1997年1月1日現在で国際盲導犬学校連盟に加盟している施設は、正会員が44施設、準会員が15施設で正会員施設が6施設増えています。ただし、加盟施設がある国は、1年前と変わらず、22カ国(オーストラリア・オーストリア・ベルギー・カナダ・クロアチア・チェコ共和国・フランス・ドイツ・オランダ・アイルランド・イスラエル・イタリア・日本・韓国・ニュージーランド・ノルウェイ・スロバキア・南アフリカ・スペイン・スイス・イギリス・アメリカ)です。
  これら加盟施設の内フランスと日本の一部施設をのぞき、1996年の1年間で訓練を修了した犬と使用者は1911ユニット(前年は1711ユニット)。この内1354ユニット(70.85%)は施設内で宿泊して(前年は71.88%)、363ユニット(19%)は宿泊と自宅の両方で(前年は17.07%)、194ユニット(10.15%)は自宅で(前年は11.05%)で指導を受けたようです。また、現在活動している盲導犬とその使用者は10970ユニット(前年は9644ユニット)、3663頭の仔犬達が盲導犬の候補として育てられています。

編集後記

毎年1月になると、テレビ、新聞などマスコミで阪神淡路大震災のその後を取り上げるのが定番になりつつあります。「盲導犬情報」もそれを真似たわけでもないのですが、今回二人の被災者の方から原稿を寄せていただきました。
  あの大震災から3年の歳月が流れました。もう3年と感じるのか、まだ3年と感じるのかは、住んでいる場所や被災者が身近にいるかなどの事情によって一人一人違うでしょう。でも過ぎていった月日は取り戻せません。人間にとっての3年は一生の中で短い期間と言えるかもしれません。しかし、その年数が犬にとってどれほどのウエイトを占めるものなのか・・・。盲導犬と共に暮らすことが出来ないもどかしさはいかばかりでしょう・・・。
  この国の災害救助に対する考え方を問い直すには余りに力不足の「盲導犬情報」ですが、震災の記憶が薄らいでしまう前にもう一度、何かを考えていただくきっかけになればと思います。(久保)