盲導犬情報 第33号(2002年4月)



内容




タンデムでの盲導犬の利用について(2)

掘ヌ嫺蓋い魘νすることについて

1.二人のユーザーの違い

盲導犬と歩くスタイルは、「一人で盲導犬と歩くこともあるし、どちらかが盲導犬と歩き、その手引きを受ける形で二人一緒に盲導犬と出かけることもある」とアンケート回答者のほとんどの人が答えています。犬の世話については、約3割の人が「自分の方が世話をすることが多い」または「自分の方が少ない」と答え、約4割の人が「どちらも同じぐらいしている」と答えています。夫婦・親子といえど、盲導犬と歩く状況、対応の仕方などそれぞれ違うわけですが、どんな違いがある、またはないのでしょうか。

(1)性別による違い

盲導犬と歩く頻度、時間について尋ねたところ、

盲導犬と歩く頻度が「自分の方が高い」のは、 男性5名、女性4名。
「同じくらい」なのは、 男性6名、女性2名。
「自分の方が低い」のは、 男性1名、女性6名。
盲導犬と歩く時間が「自分の方が長い」のは、 男性7名、女性4名。
「同じくらい」なのは、 男性2名、女性2名。
「自分の方が短い」のは、 男性2名、女性6名。

「二人一緒に出かけること」がもっとも多いと答えた1組以外は、夫婦間で若干の回答の食い違いはあるようです。たとえば、頻度が高いと答えた人の配偶者が必ずしも「自分の方が低い」、時間が長いと答えた人の配偶者が必ずしも「自分の方が短い」と答えていない場合があります。
 夫婦二人ともから回答があった中で、夫婦とも意見が一致している場合だけをみると、頻度では、「自分の方が高い」と答えたのは、男性4名に対し女性1名。時間では、「自分の方が長い」と答えたのは、男性5名に対し女性2名、と男性の方が頻度も高く時間も長いケースが多いようです。
 逆に、夫婦間で意見が一致していない場合だけをみてみると、頻度では男性より女性の方が相手より「自分の方が高い」と感じ、時間的には、男性も女性も相手が感じているより自分の方がより長いと感じているようです。

盲導犬の世話については、

「主に自分がすることが多い」のは、 男性6名、女性2名。
「どちらも同じくらいしている」のは、 男性6名、女性5名。
「自分がしないことが多い」のは、 男性1名、女性6名。

夫婦間で意見が一致しているのは9組で、そのうち「自分がすることが多い」と答えた男性は4名に対し女性1名。一致していないのは3組ですが、性差による違いはないようです。

命令に対する犬の反応の違いについては、

「自分の命令の方が反応がよい」と考えているのは、 男性6名、女性4名。
「どちらともいえない」のは、 男性6名、女性8名。
「自分の命令の方が反応が悪い」のは、 男性2名、女性2名。

時と場合によってどちらのこともある、との考えからか「自分の方が反応が悪い」と回答した4名のうちの男性2名は「自分の方が反応がよい」とも答えています。5組の夫婦は一致して「どちらともいえない」と答えており、夫婦一致して差があると答えた夫婦は2組。どちらも男性の方が「反応がよい」と答えています。

(2)利用状況による違い

自分の方が「盲導犬と歩く頻度が高い」と答えている9名は、自分の方が「盲導犬と歩く時間が長い」と答えています。そして、そのうちの4割強の人は、盲導犬の世話は「自分がすることが多い」と答え、約2割の人が「自分がしないことが多い」と答えています。
 自分の方が「盲導犬と歩く時間が長い」と考えている人は、頻度は「同じぐらい」と考えている2名が増えて11名。そのうちの約5割弱の人は、盲導犬の世話は「自分がすることが多い」と答え、約2割の人が「自分がしないことが多い」と答えています。
 逆に自分の方が「頻度が低い」と答えている7名は、自分の方が「盲導犬と歩く時間が短い」と答えており、世話については、約4割の人が「同じぐらいしている」「自分がしないことが多い」と答えています。自分の方が「時間が短い」と答えている人は、頻度が「同じぐらい」と答えている1名が増えて8名。そのうち約4割が、盲導犬の世話は「同じぐらいしている」と答え、5割が「自分がしないことが多い」と答えています。やはり、盲導犬と歩く「頻度が高い」あるいは「時間が長い」ほど、犬の世話をよくする傾向にあるようです。

(3)犬の反応に違いはあるのか

命令に対する犬の反応に違いは生じているのでしょうか。
 「自分の命令の方が反応がよい」と答えている10名のうち、4割の人が「自分の方が盲導犬と歩く頻度が高い」と答え、5割の人が「自分の方が盲導犬と歩く時間が長い」と答えています。逆に「自分の命令の方が反応が悪い」と答えている12名をみると、やはり4割の人が「自分の方が盲導犬と歩く頻度が高い」と答え、5割の人が「自分の方が盲導犬と歩く時間が長い」と答えています。
 また、盲導犬の世話を「自分がすることが多い」と答えた8名のうち約6割が「自分の命令の方が反応がよい」と答ています。逆に「自分がしないことが多い」と答えた7名のうち「自分の方が反応がよい」と答えたのは約1割でしかありませんでした。ただ「自分の方が反応が悪い」と答えた人も約1割しかおらず、過半数の人が「どちらともいえない」と答えています。また、盲導犬の世話を「どちらも同じぐらいしている」と答えた11名では、約4割が「自分の命令の方が反応がよい」、約5割が「どちらともいえない」と答えています。
 命令に対する犬の反応の違いについては、自分の命令の方が反応がいいこともあれば悪いこともある、時と場合による、ということなのか複数回答が多くありました。
 二人のユーザーに対して犬の反応に違いはあるようですが、利用状況や世話をするなどの関わり方の違いによる影響はあまりないようです。

2.タンデムの長所

タンデムの長所としてあげた3項目のうち、過半数の人が選んだのが「犬の世話が分担できる」ということと「1頭分のスペースですむ」ということ。また、「1頭分の経費で二人が使用できる」と経費面でのメリットを選んだ人も約4割いました。
 ユーザーからの自由記述で複数の人があげたのは、「自分が病気などしたとき」「盲導犬を同伴できない場所に行くとき」にもう一人のユーザーに任せておけるので安心、ということでした。
 長所に関する回答はのべ50人の人からありました。

3.タンデムの短所

タンデムの短所としてあげた3項目のうち、約4割の人が選んだのが「二人が別々に外出したいときの不便さ」と「犬の反応が異なる」ということでした。また、約2割の人は「犬の世話を相手に任せがちになる」とのことでした。
 自由記述では、「二人で一緒に出かける場合に、狭い道や交通量の多い道では危険を感じることがある」といった歩行面の問題、「使用パターンの違う二人に対応するには犬にも向き、不向きがある」といった犬の適性の問題、「二人の犬に対する対応がアンバランスでは問題が生じる可能性がある」といったユーザーの犬に対する接し方についての問題があげられました。
 短所に関する回答はのべ29人の人からありました。

検イ泙箸

わずか14組26名の方からの回答でタンデム歩行のすべてを論じることは無理ですが、タンデムという方法で盲導犬を利用することについて、そのメリット・デメリットの一部はご紹介できたのではないかと思います。
 なぜ盲導犬と歩きたいのか、盲導犬とどれほどの頻度ででかけるのか、周囲の交通環境、犬の適性など、単独での盲導犬利用の場合よりも考慮にいれなければいけない条件は多くなりますが、特に夫婦二人ともが目が不自由だという場合、そして盲導犬を希望している場合、タンデムという方法も選択肢の一つとして考えてみてもよいのではないでしょうか。
 最後に、アンケートにご協力いただいた二人の方からのご意見をご紹介して、タンデムでの盲導犬利用に関するレポートを終わりにしたいと思います。
 「理想は個人個人が持つべきだと思います。しかし先にも回答致しましたように、2頭分のスペースがなかったり病気になったり、どうしても盲導犬と同伴出来ない時など安心して預けられます。お世話係も手の空いている方ができます。私達夫婦が盲導犬と一緒に生活するようになってまだ1年にもなっていませんが、夫婦共通の話題が生まれ、自由に歩ける喜びを持つようになってから勇気と希望が膨らみ、とっても明るい家庭になりました。そしてまた人と人とのつながりも広がり、全然知らなかった人とも盲導犬を通して挨拶を交わしお友達も増えました。健常者とひけめなく対等に肩を並べて歩いているという実感を味わっている昨今です。盲導犬をいただいて本当に感謝しています。心からありがとうございました。」
 「タンデム使用は大変便利です。一人が病気になったときや病室や畳のある場所へ行かなければいけないような場合、その日はもう一人の方が連れて出かけます。私達は行き先が別のことが多く、二人とも白杖での歩行にも不安はないので、お互い譲り合いながら盲導犬と白杖をうまく使い分けています。例えば駅まで二人で行って、そこから一人は白杖で別のところへ行くような場合でも、犬は動かなくなったり後ろを何度も振り返ったりという事がないので安心です。使用者の中には、二人の言うことを聞いてそれぞれに合わせて歩かなくてはいけないから犬が大変だ、と言われる方もいますが、私は他の犬と違って人生を二倍楽しめて幸せだと考えています。」

盲導犬ユーザーの旅行記

九州旅行記 (4)

東京都 Y.YAMAMOTO
10. 最後はやっぱり薩摩料理

九州最後の日は、小雨の朝だった。旅での雨は、足を止めるものもあれば旅情を誘うものとがある。今朝も雨はさほどの雨ではなさそうだ。天気予報も降ったり止んだりと告げている。結局ほとんど雨に降られることはなく、その後を過ごせた。
  食堂で、Uさんと朝食を済ませ、部屋でKさんが来るのを待った。Uさんは今日は仕事。車でやってきたKさんが、フェリー乗り場まで送っていった。
  今日の予定は、お昼にアイメイトユーザーのKUさんと会い、昼食を取り、夕方に飛行機で東京に戻ることになっている。相談した末、午前中は、市内にある公園を散策することにした。UさんのところのBちゃんは、Uさんの友人の家で預かってもらう事になっていた。友人の家に寄り、公園へ。この公園は数年前に大雨で壊れた石橋を修復し移築してある。石橋の公園である。コースに沿って歩くと、5つほどの橋を渡れる。雨上がりの公園は、空気がすがすがしく気持ちがいい。
   ゆっくり公園を周ってから繁華街に向かった。車を駐車場に停め、鹿児島で1番の繁華街である、天文館へ。天文館と言っても、通りというか町の名前。ここにある薩摩料理のお店でKUさんと待ち合わせになっている。約束の時間まで間があるので、お土産屋さんで時間をつぶす。待ち合わせの薩摩料理のお店の名前は「薩摩路」。KUさんがセッティングしてくれたのだが、このお店は以前来た時にここで夕食を食べている。なんと言う偶然だろうか。お店の場所もなんとなく覚えていた。九州に来る前から、このお店に来ることはわかっていた。お店の名前を覚えていたのだ。なぜ20年も前に来た時のお店の名前を覚えていたのかといえば、以前来た時に、マッチをもらっていた。そのマッチを自分の机の引き出しに入れていた。今でも入っているだろう。時折そのマッチを見ていたため、脳裏に焼き付いていたのだろう。今回、このお店に来るとわかってから、楽しみの一つになっていた。
  約束の時間より少し早くお店に行った。お店の前の道は、記憶していたよりも少し広くなったようだ。お店の中に入ると、KUさんはまだ来ていなかった。お店の中の様子は、以前とさほど変わっていないかな? いかにも郷土料理のお店の雰囲気だ。盲導犬ユーザーのKUさんが決めたお店なので、もちろん入店拒否はない。私とケイルを暖かく迎えてくれた。まずはお茶をいただいてKUさんを待った。
  ほどなくしてKUさんがきた。KUさんとは昨年のアイメイトの同窓会の総会で会って以来1年ぶりだ。驚いた事にアイメイトのPちゃんがいない。家においてきたと言うのだ。訳を聞けば、体の調子が良くないようなのだ。数日後に同窓会で東京に行く予定なので、無理はさせられないということだった。
  私たち3人は、KUさんを中心に、鹿児島での盲導犬の話や今回の旅行の話など、尽きることなく話が進んだ。もちろん薩摩料理の話を、お店の主人と話したりもした。その中で、私が20年前にここのお店に来たこと。そのときマッチをもらって帰った事などを主人に話すと、新しく作ったマッチを持って来てくれた。20年前のマッチは無いという事だ。しかし、しばらくすると、また違うマッチを持ってきた。私が以前もらったマッチの次に作ったものらしい。そんな話に花が咲き、マッチはもちろん色々なものをお土産に頂いたり、サービスで1品付けてくれた。もちろん料理はとてもおいしく、楽しく昼食を取れた。主人に鹿児島に来たときは必ず来ることを約束してお店を出た。

11. また来ます。(最終章)

おいしい薩摩料理を食べた後は、もちろんデザート。鹿児島でデザートと言えば、もちろん「シロクマ」。知っている人には有名なシロクマ。知らない人には、「えっ!白熊食べるの!」なんて言われてしまう「シロクマ」。シロクマというのは、簡単に言うとカキ氷。ではカキ氷とシロクマの違いと言われても、違いのわからない男なのだ。難しい講釈はおいておいて、とにかく目指すお店に。シロクマのお店は天文館にある。テレビなどで何度も紹介されている有名なお店だ。シロクマを地方発送しているみたいなので、興味のある人は食べてみるのもいいだろう。
  数多くのメニューがある。私はチョコレートを食べる。チョコレートのシロップが使われているのはもちろん、チョコレートポッキーがささっていたり、かなり豪華だ。量も多い。シロクマを食べる季節ではなかったのかもしれないが、おいしく食べた。これが夏真っ盛りだったら、もっとおいしく食べられただろう。今、無性に食べたい気分だ。私は冷たいものを食べるとすぐに頭が痛くなるので、ゆっくり食べた。
  冷たいものを食べた後は、やはり暖かいもの。というわけで、コーヒーを飲みに行く。コーヒーがおいしいという店に入る。私の好きなマンデリンを注文した。おいしいコーヒーだった。シロクマの店も、この喫茶店もKUさんの案内で歩いた。地元とはいえ、よく覚えている。いつもは盲導犬のPちゃんと歩いているのを、今日はKさんの手引きで歩いている。複雑な気持ちで私たちを見ていたようだ。客観的に盲導犬とそのユーザーを見て、盲導犬の良さがますますわかったようなことを言っていた。
  鹿児島の空港は市内からかなり離れている。出発の時間を考慮して、早めに空港に向かう。KUさんも空港まで送ってくれた。空港の駐車場の片隅で九州最後の排泄を済ませ、搭乗手続きをする。鹿児島から羽田までは1時間少しなので、トイレの心配が無いので気が楽だ。搭乗まで3人で話をした。今回の旅行で九州の人々の心やさしいところがいっそうわかった。前回来た時もそれを感じていたので、今回も来たと言えるのだが、その思いが強くなった。来年も必ず来るという思いがその証拠を裏書きしている。搭乗のアナウンスが流れ、別れの言葉を交わし、私とケイルは飛行機に乗った。

追記

長いこと読んでいただいてありがとうございました。どこに旅行をしても、人々の暖かさに触れたときは、幸せと喜びを感じます。また、相棒のケイルと一緒にその喜びに出会えるのも、盲導犬ユーザーの先輩方、各地のユーザーの人々、そして各協会の職員の人たちのご苦労があったからだと思っています。新米である私が出来る事は、先輩が作ってくれた道を汚さないこと。そして、後輩が歩きやすいように整備をする事だと考えています。それでは稚拙な旅行記でしたが終わりにします。最後まで読んでいただきありがとうございました。

読者からのお便り

生涯現役だったウィリー

広島市 桑木 正臣

タンデムの役目を終え、14歳6ヶ月で永眠した。昭和62年5月生まれ、平成13年11月17日死亡。
  13歳が近くなった頃よりバスの乗り降り、デパートの階段など少し難しくなった。訓練所に手紙を出し、かねてから主張してきた「わたしが最期までウィリーを見届ける」ことにつき、13歳でリタイアさせ私がリタイア犬ボランティアの立場でみることにした。地元での散歩、その途中での買い物程度、ウィリーには決して無理をさせず右手に白杖、左手にリードを持って歩く。慣れた地元の道は十分歩けるが、ハーネスをつけたほうがもっと楽ではあるが・・・。それに対し訓練所から「生涯現役でもいいのでは」と言われ、ひとつの原則のみに縛られずケースバイケースでその使用者にも犬にも両者幸せであればという考え方に感銘した。
  わたしははっきり割り切った。13歳までは公の場所に電車、バス等を使い、盲導犬として活躍させた。13歳からハーネスはつけていたが、リタイア犬とまったく同じように散歩を中心に思うようにさせた。まず家を出てハーネスをかけ、どちらへ行きたいかたずねる。しばらく考えて、その日の体の状態または気分によりウィリーが自分で考え、小高い山または海辺、公園など自分で決めて歩く。私は一切命令しない。
  朝夕の散歩が14歳ごろよりどちらか1回になり、その距離も日によって違うが徐々に距離が少なくなってくる。リードだけでも何度か歩いた。しかしハーネスをつけたほうがウィリーも長年の習慣で生き生きと喜んで歩く。やはり「僕がついているから」といっているようだ。人間も退職して老ける人が多い。自分にあった仕事、それも体に無理のない時間、楽しく働くところ、または趣味があれば精神的にどんなに楽しいか、犬も同じである。十数年いっしょに暮らした主人と無理なく最期まで過ごせることが、どんなにお互い楽しく意義あることかがわかる。
  たしかに散歩以外は出来ないので不便なことはたくさんある。しかしよく言われている「不自由なれど不幸ではない」まったくそのとおりで、私もウィリーも精神的に幸せだった。しかし最期の五日間はリタイア犬ボランティアの方に聞いてはいたが、こんなにも我慢強く主人に迷惑をかけまいと気を遣っている姿。日に日に衰えていく体。それに対し語りかけ体をなで、ともに苦しんだ五日間は想像以上であった。人間でもガンで間もない命と知り、その痛みに対し病院ではなく家族のもとで最期を暮らしたい、そういう方のケアーをされた女医さんが言っておられたには、「家族と帰っていっしょに暮らすようになってモルヒネの量がずっと減った」と。精神的に痛みもそれだけ違い、苦しみも半減する。ウィリーの五日間まったくそれを感じた。ウィリーは老衰のため多臓器不全で13日の朝から食べなくなり17日午後5時前永眠した。
  最期にその五日間の日記の一部を記す前にまとめとして、人間は大きな苦しみを乗り越えたとき人の魂はひとつ成長するものだ。十日たった今、私のやってきたことに満足している。淋しいけど清々しい。よく人は言う「犬と別れるのがつらくてリタイアさせないのでは」と。元気なときの別れのつらさと死にゆく愛犬を見届けるつらさは比べ物にならない。
  わたしのような手段をとられる方に言っておきたいのは「いかなることがあっても最期まで見届ける」という強い信念と地元の環境これが一致した上、訓練所側が認めた場合に成り立つと思う。その苦しみは想像以上のものであることを付記しておく。

11月13日 火曜 朝7時、水を吐いている。昨日までふつうにえさは食べた。しかし年なのでだいぶ体は弱っていた。その日から水は飲むがまったく食べない。1日5,6回水をはく。その夜12時、2時とはく音がする。その都度私が起きて背中をさすり、汚れをふき取る。
  14日 水曜 かかりつけの獣医に来てもらう。見るなり
「これはもうだめだろう」
長年のカンで分かるという。いろいろ検査して、結果注射2本打つ。ウィリーはびくとも動かない。夜11時背中をさすり話し掛けてやると寝入った。夜中1時半ガタンと音がする。行ってみると倒れている。水を飲ます。3時ごろも同じようにする。苦しげである。
  15日 木曜 昼過ぎ獣医に来てもらう。食べないのが三日目。相当弱り、立ち上がるのがやっとだ。獣医が呼ぶとフラフラしながら玄関まで行き、尻尾をゆるく振る。今後の治療法について話し合う。点滴注射などで少しは延命は出来るが苦しむのが長いと言われる。私は人間でも延命はしないつもりなのでウィリーもこのまま死なせてやりたいと言う。ようやく立ち上がっているウィリーに、それで良いだろうと言うと軽く尻尾を振る。獣医がしんどいのに尻尾も振らないで早く横になれという。胸の張り裂ける思いを何とか我慢したがしばらく私は声が出ない。言葉を発せられない。このときが最も苦しかった。その夜1時半水をはく。倒れる音。起してやり毛布の上に連れて行く。3時、水の器の前で倒れている。口元に水を持って行くと少し飲む。いくら苦しくても泣き声一つたてない。
  16日 金曜 朝7時、毛布の上に居ない。廊下で倒れている。抱き上げ裏庭でシッコをさせる。支えてやると何とか立ち上がる。午後2時過ぎ、シッコに連出そうとしたがもう足が全く立たない。家内が言うには、1週間くらいの命と分かっているウィリーの苦しげな様子を見ておられないという。私が案ずるのは病気の家内が精神的に耐えられるか、これも気がかりである。この夜から水は自分では飲めないので器を口元に持って行く。夜11時、水を舐めさせ床につくが寝つかれない。昨夜まで寝返りをうったり倒れたりしていたが、もうそれも出来ない。夜中2時、そっとウィリーを見ると昨夜寝かせた体位と同じ。あぁ生きていて良かったの反面、一時も早く楽にさせてやりたい、相反することを思う。
  17日 土曜 朝7時、ウィリーの苦しげな息遣いを聞き、同様な感に打たれる。9時ごろ頭を上げたので口元に器を持っていく。少しだがペロペロおいしそう。11時、初めて粘液を吐いた。午後1時頃より息が激しく苦しみ出す。毛布の上から30センチくらいもがき滑り出る。もう頭は上がらない。二人でウィリーを撫でる。家内を無理に他室に行かす。私一人で話しかけながら全身をマッサージする。家内が他の部屋に行く前、ウィリーは朦朧とした状態で家内の手を舐めたと言う。頭もあがらないのに。4時頃から昏睡状態。5時少し前、1時間くらい大きな息遣いをしていたが意識は無かった。最後にシッコを毛布にして死んだ。最後まで看取ったものが人間であれ動物であれ、そのものの真の心がみえるものだと実感した。

新しい学習指導要領と盲導犬事業

新しい学習指導要領が2002年4月1日から実施されました。と言われても学校に行っている子どもがいる家庭の方なら多少聞いたことがあっても、そうでない方にとってはあまりピンと来ないかもしれません。でも、新しい学習指導要領は、盲導犬ユーザーや目の不自由な方にも影響のある内容になっています。
  では、その「学習指導要領」とは何か、ということですが、文部科学省が「すべての児童生徒に対して指導する必要のある」最低基準を示したものです。文部科学省は、「完全学校週5日制の下で、各学校が「ゆとり」の中で「特色ある教育」を展開し、子どもたちに学習指導要領に示す基礎的・基本的な内容を確実に身に付けさせることはもとより、自ら学び自ら考える力など「生きる力」をはぐくむ」ことを改善の基本的視点として挙げています。
  その新しい学習指導要領のポイントの一つに挙げられているのが「総合的な学習の時間の創設」です。「各学校が創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開し、国際理解、情報、環境、福祉・健康など横断的・総合的な学習などを実施する」という「総合的な学習の時間」が創設され、国語や算数といった教科学習と同等に扱われることになりました。
  たとえば盲導犬ユーザーの方の中には、
「ぼくたちは、いま総合的な学習の時間の中で盲導犬について調べています。質問したいことがあるのですが、よろしいですか」
と電話がかかってきたという経験をお持ちの方もおられるのではないでしょうか。各盲導犬育成施設にも同様の電話、ファックス、手紙がよく来るようになりました。また、「今度、学校に来て話をしてください」とか、「何月何日の何時に話を聞きに行ってもいいですか」といった依頼が以前よりも増えたような気がする、と感じている方も少なくないでしょう。
  小学校の学習指導要領の総則の中の「総合的な学習の時間の取り扱い」を見ると、
「(1)自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
(2)学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探求活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること」
を指導のねらいとし、そのねらいを踏まえ「例えば国際理解、情報、環境、福祉・健康などの横断的・総合的な課題、児童の興味・関心に基づく課題、地域や学校の特色に応じた課題などについて、学校の実態に応じた学習活動を行うものとする」としています。
  また、学習活動を行うに当たって配慮する点として
「(1)自然体験やボランティア活動などの社会体験、観察・実験、見学や調査、発表や討論、ものづくりや生産活動など体験的な学習、問題解決的な学習を積極的に取り入れること。
(2)グループ学習や異年齢集団による学習などの多様な学習形態、地域の人々の協力も得つつ全教師が一体となって指導に当たるなどの指導体制、地域の教材や学習環境の積極的な活用などについて工夫すること」
などの点が挙げられています。中学校の学習指導要領もほぼ同じ内容です。
  つまり、近くに住んでおられる盲導犬ユーザーまたは近くにある盲導犬育成施設、といった「地域の人々の協力」を得て「総合的な学習」が進められるようになってきているのです。中には、修学旅行先の近くにある盲導犬育成施設を見学、というケースもあるようです。
  たしかに実際に目の不自由な人に会い、話を聞き、盲導犬を見ることで、子どもたちはもちろんのこと、一般の方々もいろいろなことを思い、考えてくださるようです。京都府亀岡市にある関西盲導犬協会で行っている見学会で盲導犬ユーザーの話を聞いた参加者の感想を読むと、
「私の住んでいる町でも盲導犬を見かけます。そういう場面に出くわしても一歩引いてしまうのが現状ですが、ユーザーの方にお話を聞きとても勉強になりましたので協力していきたいと思います」
「ユーザーさんの話を聞いて盲導犬がユーザーの歩行のためにだけではなく精神面での大きな役割をしていることを実感しました」
「目の不自由な人に声をかけられなかったけど、杖や盲導犬だけでなく私たちが手伝いすることが大切なのだと思った」
「ぜひ子ども達にも授業などでビデオでも良いから盲導犬や目の不自由な人たちのことを知ってもらって少しでも何か協力できることがあることを知ってほしいです」
といった肯定的な意見がほとんどです。
  ただ、盲導犬ユーザーも盲導犬育成施設も小学生や中学生の教育には素人です。時には、「私の場合は・・・」という前提で話したつもりが「目の不自由な人はみんなそうなんだ」「盲導犬訓練士とはそういう人なんだ」と受け止められてしまい思わぬ誤解につながってしまうこともあります。「総合的な学習」に協力するには、教師の指導体制の整備が望まれます。そのためには子どもたちだけでなく、先生も福祉教育に対して指導を受ける必要があるでしょう。そこで、1998年度から小学校や中学校の教員免許状の取得には「介護等体験」が義務付けられました。目の不自由な人はかわいそうな人などとかく等身大では見られない先生もまだまだ少なくないでしょうけれど、今後に期待したいものです。
  また、子どもたちの学習に協力できる楽しみもある反面、突然の子どもたちの訪問に戸惑ったり、治療院を休んで学校に行ったが休業補償的な面をまったく考えてもらえなかったり、交通費もでなかったりといったケースもあり、今後は何らかのトラブルも起きてくるかもしれません。「呼びっぱなし」「呼ばれっぱなし」の1回こっきりの付き合いでなく、どんな協力ができて、どんなことはしてもらっては困るのかを先生にしっかり伝え、子どもたちだけでなく先生方にも「総合的な学習」を通して学んでもらえるよう、しっかりした関係を築き上げていく必要がありそうです。

全国盲導犬施設連合会からのお知らせ

全国盲導犬施設連合会では、全国盲導犬普及キャンペーンの一環として、毎年度ポスターと「デュエット」という機関誌を作成しています。
  今年のポスターは、「私たちの心を語ってくれる犬がいます。」という白抜き文字が右側に、ハーネスをつけたイエローのラブラドール・リトリーバーが赤いコーン(工事現場や陸上競技などで使う三角錐の形のもの。盲導犬育成施設では、障害物をよける訓練などに使うことがあります)をよけて立ち止まっている写真のポスターです。写真のピントは犬にあわせてありますが、ハーネスを持っている人の手とズボンが写っています。ポスターの下には、全国盲導犬施設連合会に加盟している8つの盲導犬育成施設の名前と電話番号が記載されています。昨年連合会に加盟した社団法人兵庫県盲導犬協会は今年度から登場です。
  「デュエット」の特集記事は、「訓練士・歩行指導員たちが語る盲導犬の育て方」。盲導犬訓練の導入期、訓練、盲導犬ユーザーとなる人との共同訓練、それぞれの段階で気をつけていることや日頃から抱いている夢や希望など、指導員のコメントが所属施設名とともに載っています。コメントを読むと、各施設ごとの特徴が出ている、というよりは、どの施設も基本に考えていることに大きな違いはないことが伺える内容です。
  これらのポスター・機関誌は、全国盲導犬施設連合会の募金箱を置いてくださっているスーパーなどで手にすることができますが、そういったお店が近くにない場合は、連合会事務局または連合会加盟施設に問い合わせてみてください。なお、郵送を希望される場合には、郵送料を申し受けることになりますが、ご了承くださいますようお願い申し上げます。

盲導犬情報ボックス

身体障害者補助犬法案のその後

「身体障害者補助犬法案」は、現在、衆議院厚生労働委員会で審議されていますが、いつ、どんな内容の会議で法案は審議されているのでしょうか。いまインターネットを通じてその内容を知ることができます。
  ホームページアドレス http://kokkai.ndl.go.jp/ にアクセスすると「国会会議録検索システム」という画面が出ます。その中の「検索条件入力」をクリックすると検索条件を入力する画面に変わります。その中の検索語を書き込む欄に「身体障害者補助犬」と入れ、「検索」をクリックすると、過去の会議録の中で「身体障害者補助犬」の言葉が出てきた会議名と年月日が表示されます。読みたい会議名のところをクリックすれば、その議事録を読むことができます。
  ちなみに4月3日に開かれた会議の中では、「身体障害者補助犬法案」「身体障害者補助犬の育成及びこれを使用する身体障害者の施設等の利用の円滑化のための障害者基本法等の一部を改正する法律案」を第153回国会に提出した議員を代表して山本幸三議員が法案提出の理由と内容の概要を説明しています。
  山本議員は、法案提出の理由として「身体障害者の自立及び社会参加の促進に寄与するため、身体障害者補助犬を訓練する事業を行う者及び身体障害者補助犬を使用する身体障害者の義務等を定めるとともに、身体障害者が国等が管理する施設、公共交通機関等を利用する場合において身体障害者補助犬を同伴することができるようにするための措置等を講ずる必要」があると発言しています。
  また、法案の概要については「身体障害者補助犬の訓練事業者は、医療提供者、獣医師等との連携を確保しつつ、身体障害者の状況に応じた訓練を行うことにより、良質な身体障害者補助犬を育成しなければならないこと」
「国等が管理する施設等、公共交通機関、不特定多数の者が利用する民間施設につきましては、管理者は、身体障害者補助犬の同伴等を拒んではならないこと」
「民間の事業所、民間住宅の管理者は、身体障害者補助犬の使用を拒まないよう努めなければならないこと」
「指定法人による同伴に係る身体障害者補助犬に必要な能力の認定制度を創設すること」
「身体障害者補助犬の使用に係る適格性、身体障害者補助犬についての表示、行動管理、衛生の確保等につきまして定めること」
などと説明しています。
  また、「身体障害者補助犬の育成及びこれを使用する身体障害者の施設等の利用の円滑化のための障害者基本法等の一部を改正する法律案」については、「障害者基本法に、公共的施設を利用する障害者の補助を行う犬の同伴について配慮しなければならない旨の規定を設けることとし」「地方公共団体が実施する身体障害者の社会参加を促進する事業に、身体障害者補助犬の使用を支援する事業を追加しようとするもの」であると説明しています。
  ちなみに、4月5日付け毎日新聞の報道によれば「今国会(6月19日まで)中には成立する見通しになった」とのことです。

編集後記

もうじき「国際盲導犬の日」がやってきます。「国際盲導犬の日」は、毎年4月最後の週の水曜日です。日本にはなじみのない日にちの設定のしかたですが、国際盲導犬学校連盟では、この日を「国際盲導犬の日」とし、盲導犬について理解を深めるための啓発事業に取り組むよう提唱しています。これを受けて世界各地でさまざまな啓発のためのイベントが開催されることでしょう。
 世界、といえば、先日、日本に9つある盲導犬育成団体のうちの8団体と韓国のサムソン盲導犬学校が協力して「アジア・ガイドドッグス・ブリーディング・ネットワーク」が設立されました。3月には冷蔵精子を使った人工授精により、北海道盲導犬協会の繁殖犬が無事6頭の子犬を出産しました。現在の日本の育成体制の中で繁殖の成功が日本の盲導犬育成頭数を増やすことに直結するわけではありませんが、より質の高い盲導犬の育成が期待できるのではないでしょうか。(久保)